地球一周。代表派遣者を決定 多摩市関戸  猿谷武史

             猿谷さん選考会の様子。   下部にエッセイを掲載。

「私が地球一周をしたいわけ」       猿谷武史
 「私が地球一周をしたいわけ」と「私がデザインする多摩の未来」の二つのテーマから選ぶとなると、自分の未来も想像できていない僕が多摩の未来???・・・。お恥ずかしい話しですが、今まで考えたこともありませんでした。僕は学歴もなく、作文を書く機会も今までなかったので趣旨がそれ、非常に読みにくい文になってしまうと思いますが、なんとか書いてみます。この企画の話を初めて知った時は、『世界一周のチャンスをGET』という文だけを見て、単純に興味があり、是非参加したいと思いました。
 僕は現在26歳なのですが、中学2年生辺りから非行に走り、ろくに学校も行かず、遊びまわっていました。高校は出ないといけないという社会や周りの雰囲気から、行く意味や将来の考えもないまま塾に通い、家庭教師も雇って、周りから2年半ほど遅れて勉強を始めました。当時の僕は、髪の毛は金髪で、吸いたくもない煙草をふかし、言葉使いも悪く、家まで来てくれた家庭教師の先生を、具合が悪いと軽々断わるような、生意気な中学生でした。先生は断られても何度も来てくれました。そんな僕に、熱心に教えてくれる先生の気持ちから勉強も楽しくなり、僕なりに一生懸命頑張りはじめました。自分が遊んでいたから当たり前の事ですが、高校受験には失敗。こんな僕に親切に教えてくれた先生の気持ちと、自分なりに頑張った気持ちで非常に悔しく、虚しかったです。結果を家に聞きに来てくれた先生に、泣きながら伝えると先生も一緒に泣いてくれました。今思えば、高校に行きたいという気持ちで勉強していたのでなく、こんな僕に熱心に教えてくれた先生の気持ちに応えたくて頑張っていたのだと思います。
  その後、2次募集で定時制の高校に通うことになりましたが、1年程で自主退学しました。それからは、職を転々としていましたが、18歳の時にアルバイト先で知り合った社長さんに誘われ、その人の経営する飲食店で一人暮らしをしながら店長として働くことになりました。しかし、それなりの給料をもらい、自信がついてしまった僕は、毎晩朝まで飲み歩く、荒れた日々を送っていました。もうまともな生活には戻れないとも思っていました。 そんな時、父から呼び出され、初めて父と向き合って話をしました。この時に初めて一人で生きていたのではなく、家族に見守られながら生きていたことに気づき、家族の大切さが分かりました。
  その後、社会に出るには高校の資格は必要だと思い、仕事をしながら通信制の高校に通い卒業しました。  現在は、父の経営する新聞販売店でサービスの一環として、読者の方々の声を聞き、多摩の評判のお店や地域の行事などを、毎月紹介するミニコミ紙を作っています。やりがいもありますが、『このままでいいのか?』、『自分には他にやりたいことがあるのでは?』、と自問自答しながら働いているのが現実です。
  何事でも僕は、踏み出したいのに一歩踏み出す勇気がありません。いつも、あの頃何故もっと早く出来なかったのかと、後悔することが多々あります。一歩踏み出せば道が開けると分かっているのですが、その勇気がなく挑戦できないでいます。昔の自信や勇気を取り戻せれば、今はその自信や勇気を良い方向に使えるのではないかと、日々思っていました。
  そんな時にPPTの企画に出会いました。最初はおもしろそうだなと思っていましたが、『TAMAを考え、あたらしいつながりと夢を共有するプロジェクト』となると、僕なんかが応募する資格はないと思い、応募するのは諦めていました。しかし、日がたつにつれ、参加してみたいという気持ちが大きくなっていきました。仕事もあり、彼女と同棲していることもあり、無理だなという気持ちがありましたが、それ以上に『僕の求めていたものが、見つかるかもしれない』、『自分の可能性を試したい』、『僕でも出来るかもしれない』と強く思うようになりました。「世界一周」、「ボランティア活動」、「知らない人と船で3ヶ月生活をする」・・・。どれも今まで全く想像したこともありません。不安な気持ちもありますが、それ以上に期待が大きく、必ずこれからの人生のプラスになると思っています。今が自分を変えるチャンスだと、強く感じています。「世界一周」に行って、知らない世界で様々な経験をして、人間として成長したい。言いたいことが言え、目標をもって、日々前進していけるような自分になりたい。   それが、僕が世界一周したいわけです。